冠省.  眼の手術が終り、再びパーカー・デュオ・フォールドを手に文章を紡ぐことが出来る喜びを味わっています。
 このところの貴兄との間の対話が“ペルソナ・ノン・グラータ論”に収斂し、貴コメント・メール-(49)において、石原慎太郎、野村秋介、新井将敬、渡辺美智雄、渡辺芳則、後藤忠正、中江滋樹と繋がる人脈ネット・ワークが示されたことは、まさに“眼からウロコ”の想いでした。驚きましたね。
 とくに、渡辺美智雄が、山口組五代目の渡辺芳則組長と栃木では本家(渡辺芳則組長)、分家(渡辺美智雄)の間柄であったというのは、思ってもみなかったことだけに、驚き以外の何ものでもありません。
 渡辺美智雄は、私の大学の先輩でもあり、政治家として清廉潔白を装っていただけに、私にとってはショックでした。
 ただ、渡辺美智雄が株式市場と証券会社の内部事情(カラクリ)を熟知しており、株取引のカラクリを利用して多額の政治資金を得ていたことは知っていました。具体的な政治資金の獲得方法について、私は地元経済誌・山陰経済ウィークリーに寄稿しています。そこでは仮定の話として書いていますが、当時の渡辺美智雄が実際にやっていたことです。この寄稿文は、昭和55年1月8日号と同年1月15日号の「山陰経済ウィークリー」に掲載されており、山根会計事務所が松江市天神町の自宅にあった時のものです。これから2年後の昭和57年に、事務所を灘町に移すと同時に、公認会計士・税理士、弁護士、不動産鑑定士、司法書士、行政書士を一ヶ所に集める、いわゆる“ワンストップ・サービス”の提供を目的とする㈱山根総合事務所の設立に至ります。
 この㈱山根総合事務所のメンバーとして灘町事務所に入ってきたのが、中村寿夫弁護士だったということです。
 末尾に、寄稿文を公表(パブリック・アナウンスメント)いたします。

 新井将敬代議士がホテルの一室で“自殺”したのは、平成10年2月19日。私が広島国税局査察部門と松江地検に冤罪をデッチ上げられた平成8年1月26日より、2年後のことでした。
 日興証券の幹部がバレバレの嘘を言って新井将敬を死に追いやった事件だけに、中江滋樹と共に株の世界にドップリ浸っていた私にとって他人事ではありませんでした。
 当時の私は新井将敬とは一体何者か、日興証券が何故見え透いた嘘を言わなければならなかったのか詳しく調べた経緯があります。
 株式市場-中江滋樹、加藤暠-証券会社-仕手の金主-ナニワ金融道-ヤクザ、といったカネのつながりがあります。仕手の金主の殆どは、オモテには出すことの出来ない“裏金”の所有者でした。



明窓閑話 (1)
 - 献金について(その1) -
   株の操作による巧妙な資金作り


 昨年はいわば“献金”の当たり年ともいえる年であった。ロッキード事件の公判が衆目を集めている折から日商岩井の五億円献金問題が明るみに出、次いで密輸摘発に端を発したKDD問題へと続き、昨十二月十一日に終わった第九十臨時国会においては、税理士法改正実現のために巨額の献金をした税理士会がやり玉にあがった。
 いずれの場合でも政治献金であるのか、ワイロであるのか、法的には極めて難しい問題をはらんでおり、早急に判断を下すことはできない。司直の手によって解明されるのを待つ以外にないであろう。
 私は政治家でもなければ法律家でもない。一介の職業会計人にすぎない。職業会計人の基本的思考方法の一つは、現実に則してベストを尽くすということにある。“献金”という問題に、この考え方を適用すればどうなるであろうか。
 かつて私は、先輩の公認会計士から監査の要諦は相手の立場に立って考えることにあることを教えられた。つまり、たとえば不正発見の調査の場合、自分がもし担当者であったならどのような手段で不正を働くか、徹底的に考えろという訳である。一定の状況のもとで不正を働くというのは意外に難しいものである。人間の考えることは同じようなもので、不正の手段は限られてくる。その特定の状況のもとに当事者として自分を置いてみるのである。物事の筋道は鮮やかに浮かび上がり、短時間のうちに結論が得られるというのである。
 いま仮に、経理担当重役が社長から献金のための資金を捻出するように指示されたとしよう。組織の一員として、至上命令は達成しなければならない。しかも、あらゆる面で問題の起こらない手段によって資金を捻出しなければならないものとしてみよう。たとえば、証券会社を例にとって具体的に考えてみよう。この証券会社は、ブローカー部門のみでなくディーラー部門をも有する中堅の会社と仮定しよう。政治家A氏に、二億円の政治献金を次のような方法で行なったとしたらどうであろうか。
 自社保有のA銘柄(株価五百円、簿価四百円)二百万株を、A氏の政治団体であるB政治研究会に売却する。所要資金十億円は、社長の個人保証による某銀行からの融資を斡旋し、決済させる。その後、配下の地場証券を買い方に立たせ、小口の売買をひんぱんに行なう。ディーラー部門を売り方にし、次第に値をつりあげていく。ムードづくりのために、地場筋を通して株価材料となる情報を流していく。かくて、時価が百円高の六百円に至った段階で、クロス商いによってB政治研究会より二百万株を買い戻し、いわゆる“特別推奨銘柄”として各支店を通じて一般投資家にはめ込んでしまう。
 これをまとめてみればどうなるであろうか。
 証券会社自身は、簿価四百円の株式二百万株を時価の五百円で売り十億円のキャッシュを受けとり、二億円の差益を得た。B政治研究会は、A銘柄二百万株を五百円で買い六百円で売り逃げ、同じく二億円の差益(金利、手数料は別)を得た。某銀行は、証券会社社長の個人保証によって十億円の短期資金をB政治研究会に貸し付け回収した。
 仮に、六百円で買い取り、六百円で一般投資家にはめこむことができないとしても、その損失に相当する部分は、当事者が具体的な説明をし、自主的に振替処理をしない限り、税務上は損金とせざるをえず、会計監査上も寄付金としての表示を強制することはできない。理論的には寄付金になりうるとしても、この場合実務的に立証するのが不可能に近いからである。
       ―     ◇     -     ◇     -    
 本紙への寄稿はこれで三度目である。標題にある“明窓”は、私の明るいオフィスに由来する。若き一級建築士松本峯太郎氏の設計監理になる、いわばガラスのオフィスは私にとってこの上ない思索の場である。また、“閑話”としたのは決して閑つぶしの話をしようと思っているからではない。幸か不幸か、私の日常は多忙を極める。諺にも忙中閑ありという。私にとって宝石のように貴重な“閑なる時間”の一部を思案の時間として確保し、一文を草したいと思う。 “閑話”とは、そのような時に綴った思索の軌跡というほどの意味あいをもつ。題して“明窓閑話”という。
   山陰経済ウィークリー  昭和55年1月8日号㈫  



明窓閑話 (2)
 - 〝 献金 〟について ➁ -
   クリーンな形で2億円を政治献金

 これはあくまでも仮定の話である。東証一部上場の会社であり、信用取引銘柄にも指定されている会社(仮にA社という)が、大物政治家であるB代議士に二億円の政治献金をする必要に迫られたとしよう。社長から資金捻出の指示を受けたA社の経理部長氏は、頭をかかえ込んでしまった。
 税務上は寄附金処理をし、別表四で加算しておけば問題はない。しかし問題は商法、証取法及び刑法にある。「上場会社である以上、当然のことながら公認会計士の監査を受けている。公認会計士としては金額が大きいだけに、商法違反の可能性があるとして中止するように勧告するであろう。仮に会社が勧告を無視して支払いを断行した場合には、監査報告書にその旨(これを限定事項という)を記載することとなり、そのような監査報告書が株主総会に提出されるとすれば総会は大荒れとなり収拾がつかなくなるであろう。また監査報告書の上で明示しない場合でも、証券取引法の要請によって有価証券報告書の上では寄附金という科目で明示(これをディスクロージャーという)しなければならず、有能な経済記者から質問の矢があびせられるであろう。経理部長氏が頭をかかえたのは、このような事情からであった。
 一晩考えた結果、妙案ともいうべきアイデアに思い至った。要はB代議士に二億円提供すればよい訳で、必ずしも会社の金庫から支出することはない訳である。氏が考えたのは時価発行増資を使う方法である。
 時価発行というのは、額面五十円の株式をたとえば五百円とか千円とかの時価で発行することをいう。実際の値ぎめは幹事証券会社が行ない、通常は証券会社が一括して引き受ける。時価は取引所の相場のおおむね一割安のところに決められる。このような値ぎめの方法をとっているため、一般投資家が増資を引き受けてもほとんど損はしないようになっている。しかし通常は単なる確率の問題であり、絶対という保証はない。この絶対の保証を確保するためには、幹事証券会社の協力を得ることが不可欠である。
 早速、証券会社の法人担当重役に会い、その後一週間ほどかけてにつめた案は次のようなものであった。
 A社は、某月某日八百万株の時価発行増資を実施する。そのうち二百万株をB代議士の後援会に割り当て、百万株を法人担当重役、株式部長等(実際には規制があるので適当なダミーを使う)に割り当てる。百万株を証券会社の役員等に割り当てるのは、当事者に利害を与えることによって確実性の担保とするためである。それらの資金手当はA社の斡旋により、C都市銀行から受ける。現在の時価は六百円であり、冷し玉(ぎょく)を三百万株程用意して五百円にまで切り下げ、その時点で増資の発表を行う。時価発行の値ぎめは四百五十円とする。
 発行後、配下の地場筋を動員して株価を五百五十円にまでつりあげ、その時点で三百万株の割り当て分をクロス商いによって証券会社が一括買い取り、各支店に割り当て一般投資家にさばいてしまう。
 この案は実行に移された。五百五十円での買い取り及び売却が完了した後に一般のチョーチン買いが入り、時価は六百円の大台を回復し、幹事証券会社としては勧めた投資家にも顔が立つ結果となった。投資家は往復の手数料が抜ければ文句を言わないものだ。
 これをまとめてみればどうなるであろうか。
 まず、A社は八百万株の増資をし三十六億円のキャッシュを手に入れた。それだけのことである。B代議士の後援会は二百万株の公募引き受けをし、百円値上がりした段階で売却し二億円の差益を得た。役員等は同様にして一億円の差益を得た。幹事証券会社は、A社の増資業務を引き受け約一億円の手数料を収受し、その上相当の売買手数料を収受した。C都市銀行は十三億五千万円の証券担保貸し付けを実施し、担保不足分の五億四千万円(株式の掛け目を六割とする)についてはA社の社長の個人保証によって補った。増資分の三十六億円は預金として留保した。
 B代議士には二億円の資金が手に入った。しかも極めてクリーンな資金としてである。
 ここで読者にお断りしておきたいのは、このようなことを私は仮定の事実として述べているだけであって、決して推奨しているのではないことである。道義的な面での善悪はまた別の問題だからである。
   山陰経済ウィークリー  昭和55年1月15日号㈫