コメントメール(105)

 山根治さま

*****
 衆議院総選挙で自民党が惨敗し、売国奴の裏金議員の多くが落選したが、その後に行われた兵庫県知事選挙では、SNS(Social Networking Service)のフル活用で、追放された斎藤知事が再選され復活した。だが、それはつかの間の勝利で、数日後に公開された自慢話が炎上し、この当選が公職選挙違反に基づく、ヤラセだったと発覚してしまい、更なる違法行為だと問題を起こし騒がれている。

 事件の舞台は兵庫県であり、西宮の出身の女性が登場して、そこに知事選挙が関連しているが、そんなレベルの問題でなく、もっと複雑な背後関係があり、歴史的な脈絡が潜んでいるはずだ。事件炎上の背景としては、PR請負会社の女社長が「NOTE」に公開した記事が、選挙違反に相当しているので、斎藤知事が関与した犯行と指摘され、それがメディアの注目を集めている。

 だが、より大きな視野で展望すれば、自殺した県民局長事件を演出し、二馬力選挙と言う不正な手口を使い、斎藤前知事の再選を実現した立花孝志の選挙活動は、民主的な選挙制度を踏みにじる犯罪だった。それを証明するかの如く、選挙の成果が炎上していた段階で、東京地裁は名誉毀損訴訟を却下し、被告の石渡智大の勝訴を決め、立花が組織したN国党に対して「反社会的カルト集団」と認定した。

 若い頃のイタロ・バルボは、反逆青年として政治活動に加わり、イタリア反逆同盟の書記になり、黒シャツを着て傍若無人に行動し、ファシスト運動を組織したが、その絶頂が1923年のローマ進軍だった。日本版バルボの立花はNHKを辞職後に、反NHKのキャンペーン活動を組織し、選挙を金儲けの手段に使い、多くの選挙で公共善を犯し物議を巻き起こしたが、それに作家の石渡が立ち向かった。

 各地の選挙をリポートした彼は、2018年の選挙の時に名誉毀損で立花に訴えられ、2024年の都知事選挙の時に、悪質な立花の選挙術に果敢に挑み、石渡の存在は大いに注目を集めた。しかも、兵庫県知事選挙の後に東京地裁が石渡の勝訴を決定し、立花が違法選挙したと判決を下したが、その意義を認めたメディアは少なく、PR会社の女社長の選挙活動にばかり注目が集まった。

 日本のメディアの大勢は、フランス仕込みの「キラキラMadame」が演じた派手なビジネス手法に幻惑され、「楓ゲート」だと大騒ぎをして、このドタバタ劇を報道し続けた。問題の舞台になったのが兵庫県で、学歴詐称で問題を起こした小池百合子の出身地だし、神戸市の助役が松江市長になり、中海の干拓で大汚職を起こした事件について、私はかつて記事を書いている。

 それにしても、「山根治」ブログに寄稿した記事が、読者の手で「NOTE」に転載され、小池百合子の学歴詐称が歴史の証言の役を果たし、芦屋と西宮の事件が裏と表の関係になるとは、私にとっても予想外だった。小池関連の記事では日本のタブーを扱い、これは仕掛けた時限爆弾であり、PR会社が扱ったSNS騒動は、県知事選挙に関わるスキャンダルで、Current Topicsに属すと軽視していたが、奇遇にも二つの事件が繋がった。

 神戸は有名な山口組の砦で、港湾利権と埋め立て事業で賑わい、闇勢力の伸展に結びついており、それが低迷を呈す大阪にとって、新天地の地位と政治抗争の場を提供していた。その実例が兵庫県知事選挙で、奇妙な工作の形で二馬力選挙が行われ、立花という怪物の犯罪行為の横行を許したが、サリンのないオウム事件として、N国党は反社会的カルト集団と認知された。

*****

 選挙ウォッチャー石渡の発言には、多くの新情報を含んでおり、混乱に陥ってしまいがちになるから、私は彼の著書の『NHKから国民を守る党とは何だったのか?』を読んでみた。それを足場にこの選挙事件を見直したら、都知事選挙やガーシー事件を始め、立花孝志が関与した多くの事件が結びつき、彼の犯罪性が明白になり、この事件が持つ別の面がはっきりした。

 N党を立ち上げて利用した立花は、呼吸するように嘘をつく点で、安倍晋三と瓜二つの関係であるし、それに騙されてしまった大衆の構図は、現代日本の精神風土を象徴している。しかも、コンピュータを使った情報操作が、自死事件を誘発していたので、こんなローカルな事件に深入りしたら、面倒くさいことになると思いつつ、百条委員会の議論を開いて見た。

 そうしたら、真相追及の進展に伴う議論の過程で、県知事の弁護士グループの中に、二人も倫理法人会のメンバーがいて、彼らが統一教会側の弁護経歴を持つと知り、私は自分の迂闊さに気づいた。倫理法人会の名前は、余り広く知られていないが、中小企業の間では有名であり、青年会議所を筆頭にして、日本会議や統一教会を始め、生長の家、PL教団、立正佼成会という団体や宗教カルトが構成員にいる。

 日本会議は民族派の政治団体で、「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」を母体にする、二つの組織が1997年に合体して、伝統精神や愛国心の称揚を目指し、組織活動を本格化している。基本精神は天皇制と国家の崇拝で、戦前派や戦中派が中心になり、新興や伝統宗教の信者を始め、保守派の財界人や文化人を結集し、ヤルタ体制を否定すると共に、自主憲法の制定を目指して活動している。

 日本会議には四万人近い会員がいて、約300人の国会議員を始め、2000人以上の地方議員を含み、国民運動を組織する政治団体で、自民党の清和会の中心を構成する安倍派の拠点でもある。また、自民党の別動隊の維新会は、関西圏の拝金的風土を反映し、大阪では独自の活動を展開して、大阪維新の会の新天地を築き、隣接地としての京都や兵庫方面に、勢力圏を拡大しようとしている。

 だから、斎藤知事の当選祝いに吉村大阪府知事が駆け付けたが、二人は共に維新に属す知事だし、激励し合っているのを見て、これまでバラバラだったものが繋がり、それまで見落としていたものが絵になった。しかも、問題の斎藤知事は維新に属し、大阪府から兵庫県に送り込まれ、大阪万博やカジノ利権に結びついており、大阪維新の新植民地の兵庫県は、背後に控える統一教会が、選挙活動で重要な役目を果たしている。

 そこに県知事の再選挙で、辞任を強いられた斎藤元彦が、予想を裏切って再選復活を果たした、摩訶不思議な状況を理解する上で、謎解きに関連した鍵があり、それが二馬力選挙だった。全国的な注目を集めていた、兵庫県知事の選挙運動に、石丸効果が活用されて、SNSがフルに使われた点では、情報革命の時代性を反映し、一種のサイバー戦の様相を見せ、古い世代と若い世代が、ぶつかり合う様相を呈した。

 しかも、想像を絶する嘘が横行し、立花のしたい放題が放置され、反論の勇気がないのが大手メディアで、警察や検察の国家権力までが、不正を取り締まる意欲に乏しく、国民に信用されないのが今の日本である。テレビや電子メディアでは、ホリエモンやヒロユキを始め、詐欺商売で財産を築いた成金が登場し、コメンテータ役のお笑い芸人が、知ったかぶりを喋りまくり、時事問題について解説していた。

 強姦の山口敬之や窃盗の高橋洋一が、したり顔で番組を主宰して、法務大臣が犯罪で逮捕され綱紀紊乱の日本の社会では、Common Goods(山根注.個人や一部の集団にとっての善ではなく政治社会全体の共通の善のことである。共通善。-ウィキペディア)を踏みにじる犯罪者が、倫理や道徳を喋りまくる。社会規範が狂った社会は、サイコパスが主人役を演じ、ニセモノ(Fake)が罷り通り、まともなものが追いやられても、時にはペレティ・フィロソフィーのような番組が、鋭い発言で気を吐く光景も見かけるのだ。

 良識が消え欺瞞が君臨すれば、社会は健康を喪失して腐敗し、様々な症候群に支配され、自由も民主も形骸化するが、ゾンビ政治が続いた後の自民党は、小泉や安倍が演じた狼藉で、「つわもの共の夢のあと」である。「賢者は歴史に学び、愚か者は経験に頼る」が、冷戦構造が解体した以後に関し、不毛だった歴史を忘却して、閉塞感に支配された日本人は、自分の頭で考えることを止め、愚民政策に押し流されて来た。

*****
 ゾンビ政治が続いたせいで、日本の国力の低下は酷く、国内にいると気づかないが、産業界は活力を喪失してしまい、国際社会での存在感が消え、衰えた覇気と士気の程度は、海外留学する若者の数が証明している。それが失われた三十年だが、この期間に経済は停滞し、国富の増加のない状態が続いて、日本人の生活は貧しくなり、GNPでは中国に引き離され、国民一人当たりの所得においては、韓国や台湾にも追い抜かれた。

 バブル崩壊後の過去三十数年間の日本では、オウム真理教のサリン事件を始め、阪神や東北を襲った地震があり、天災や人災が続発したが、それ以上に暴政の結果が経済活動に大きく影響した。二十世紀の資本主義体制は、1971年夏のニクソン・ショックまで投資経済が中心だったが、それ以降は投機経済になり、新世紀になるとポンジ経済に変貌し、ビジネスの詐欺化が著しい。

 そうした動きの背後に新自由主義があり、いわゆるネオコンの台頭が、資本主義の性格を大変貌させており、コン・アーティスト(山根注.犠牲者の信頼(コンフィデンス)を利用する詐欺師のこと。-日本語WordNet(英和))による信用詐欺を通じ、信用崩壊を蔓延させていた。その典型がリーマン・ショックで、保険会社のAGIの債務は税金で補填され、ゴールドマンサックスが送り込んだ、財務長官は米国民の税金を使い、信用詐欺の芸術化を実現した。

 日本でも小泉政権時代に、米国仕込みの手法を使う竹中平蔵の手で、規制緩和と民営化を口実に使って、国有財産の私物化と共に日本の富の外国支配を促し、日本の叩き売りが推進され続けた。その典型が新興成金の激増で、情報を商品にしたITビジネスが、雨後の筍のように群生し、日本経済をポンジ型に変え、時価相場の数字を基に、会社を評価する悪習が定着している。

 そうした環境を活用して、ソフトバンク、オリックス、パソナ、ドワンゴを筆頭に、カナ文字表記の新興会社が、新型のスキャンダルを伴いながら、宣伝力を武器に使って台頭した。成れの果てがアベノミクスだし、欺瞞と隠蔽に加え嘘によるペテン政治が行き詰まり、都知事や兵庫県知事の選挙では、デタラメのお花畑の出現で、社会規範は完全に崩れ去った。

 既存のメディアは自滅状態で、国民の信頼感は消失し相手にされない状況が続き、真の正義は影を潜めてしまい、フェイク情報の洪水の中に小さな呟きに似て、大局観を捉えた声も存在している。登録者数で広告収入を稼ぐ、SNSのインフルエンサーが、センセーショナルに騒ぎ立てる中に、次の世代に証言を残したい、良心的な観察者の声は呟きに似て、小さいが説得力を誇っている。

 そんな番組の一つだが、同じ兵庫県知事選挙問題でも、「かおりちゃん錬る」のスタイルは、観察と熟考が主体のゲシュタルト型だから、歴史を俯瞰したいと思う時に、最適の雰囲気を感じさせる。それは行間を読む時の余韻に満ちた気分と結ぶ、十九世紀的な思考法に属すものであり、フランス留学時代に学んだアプローチが、久しぶりに懐かしい気分で蘇ったと思った。

 大学院でのゼミの時に数冊の必読図書を指定され、議論の時にそれに従い見解を述べたら、「君は本の記述に従い述べているが、脚注にある本は読まなかったのか」と教授に言われた。その時は面食らってしまい、意味が理解できなかったが、授業に慣れるに従い真意が分かり、テキストの文字面ではなく、脚注の中にヒントがあるし、真意は行間に潜むのだと理解した。

 それは貴重な体験であり、海水面下の氷山と同じで、表面に現れているのは部分だし、肝心なものは水面下に潜み、それを見つけ出すことに、学問の本質があると学び、それが留学した成果だった。そこでこの教訓に学んで、『平成幕末のダイアグノシス』と『夜明け前の朝日』を書いたら、書評もゼロに近い状態だし、日本では全く受け入れられず、分かりにくいと批判された。

 新聞記事は短文であり、関係代名詞を使わないので、分かり易いのが特徴だが、謎解きや隠し味を楽しむ趣味を持つ人は、それに不満足を感じてしまい、世の中が味気ないものに思えてくる。真相解明は幽遠の世界で、それを楽しむ場として「山根治ブログ」があり、歳の功のプロの二人は、職人としての現場感覚を生かし交信録を綴っているが、それを楽しむ読者が存在して、批判までするのは愉快である。