コメントメール(107)
山根治さま
*****
半世紀も昔の話で恐縮だが、第四次中東戦争で石油禁輸になり、トイレットペーパーの買い占めを始め燃料不足で、日本中が大パニックを起こし、政治も経済も大騒ぎして、何百人も中小企業の経営者が自殺した。その時の首相は田中角栄で通産相が中曽根康弘であり、その無能無策ぶりを露呈したが、この事態を予見した私の本は誰も予想もしなかったのに、ベストセラーになった経過について、『アスペの三奇人交遊録』の中に次のように書いた。
<・・・・1973年の秋に襲来した石油パニックを予言した処女作、『石油危機と日本の運命』がベストセラーになって、メディアの注目を集めたお陰で、十万人もの読者を獲得した。
だが、この本は十社以上に断られ二年の歳月を無駄にして、1973年の春に出版されているが、初版3000部だったのに半年で600部しか売れず、「サンケイ抄」のコラムは「日本経済の実力を知らぬ、無知な男の本だ」と酷評した。だが、「井の中の蛙」のノーテンキは、世界を知らない状態のままに、月夜の田んぼで鳴き騒いだのであり、石油ショックに動転しトイレット・ペーパー騒ぎで、買い占めでうろたえていた。
私のベストセラーの本は石油の問題を扱っていたので、各紙の経済部の記者たちに取材を通じて知り合い、彼らが出世した後には寄稿すれば記事になったから、それを纏めて本も出版できた。・・・・1970年代後半の日本経済は列島改造ブームの後で、経済大国を目指して鼻息は荒々しかったが、社会構造は家産的でハード偏重でソフトが弱かった。また、1979年のイラン革命で原油価格が五倍に暴騰し、それを予告した影響もあって、訪日した私は取材を受け、マスコミに追い回され猛烈に忙しい思いをした。
そんな中で最も熱心に接近し、情報を欲しがったのが『サンケイ』新聞であり、財界の御用新聞だけあって執拗にアプローチを試み、私を取り込もうと猛烈な工作をした。大平内閣が誕生した時にブレーン政治が始まり、親分が財界のサンケイとPHPは、豊富な資金を餌に使い御用学者を刈り集めて、体制派の言論陣の結成を図った。
『サンケイ』の第一面に「進路を聞く」という欄があり、そこに一週間ほどインタビューが載って、危うく取り込まれかけ権力の誘惑の手口を体験した。田原総一郎がその代表で女衒役を演じていたが、閉鎖的な日本の社会ではこうした形の誘惑により、権力に吸い取られてしまい、まともな言論人が育たない。
私は体質的にこの新聞は避けたかったが、経済部の記者が熱心であり、竹村健一や堺屋太一など権力迎合者との対談を始め、財界人を相手の講演を企画した。また、私の機嫌を取ろうとして雑誌に発表した記事を集め、『悪魔の戦略』と題して編集しサンケイ出版が出したが、同じ時期に東京新聞から『日本脱藩のすすめ』の題で出た本に較べ、月の前のスッポンの酷さだった。・・・・>
サンケイ新聞の系列に『日刊工業新聞』があり、エネルギーという雑誌を出していて、当時『油断』と題しベストセラーを書いていた堺屋太一を相手に、エネルギー問題をテーマにして、対談をして欲しいと提案があった。堺屋は通産官僚であり、私より三才ほど年上だが、石油開発の現場について無知だのに、官僚特有の知識を並べ立て、埋蔵量について得意に喋ったが、暗記した数字の羅列に過ぎないのである。
頭のいい官僚の多くは丸暗記した数字を並べてまくしたてるので、如何にも物知りの印象を与えるが、堺屋太一はその例を使いまくり、確認埋蔵量の数字を並べ上げて、得意顔になって自説を主張した。埋蔵量は地下にある資源や物質の量を指し、通常は資源の量を意味しており、石油地質学者の仮定に基づき、次の三種類の埋蔵量を予想し、その確実度によって、確定埋蔵量、推定埋蔵量、予想埋蔵量の3種類に分類されている。
だから、確認埋蔵量は現在の技術的・経済的条件の下で、確実に回収可能と推定されるが、掘削した井戸の地質データに基づき、構造の規模とか含油層の厚さや孔隙率に従い、計算される数値である。だから、われわれ現場を知るプロは、パラメータを変えるだけで埋蔵量を増減でき、その数字を操作できるので、どれだけの埋蔵量が希望かと聞いて、相手の願望値まで予測してしまうのに、経済学者や役人は数字を丸暗記しているだけだ。
そして、教科書の記述に基づいて議論し、大勢に従い得意になって議論するから、今後に主役になる天然ガスに対し、過小評価して無視したがるので、将来の可能性についての議論では話が合わなくなる。その例がこの議論でも現れ、役人の堺屋は天然ガスの保存性や埋蔵量に対して悲観的で、不思議なほど否定的になり話が進まないから、私は自衛隊のクーデタを持ち出し、相手の反応を探ったら一笑に付された。
*****
週刊誌の体質の関係で続きは次号扱いになったが、対談は同じ日に続いており、私が取り上げたファシスト革命の内容は、岸信介や笹川良一などの右翼勢力による、政治が戦前回帰の方向に捻じ曲げられることだ。そこを狙った統一教会が反共を掲げ、カルト教団として政権与党に浸透し乗っ取って、日清戦争の頃の清国や日露戦争の時のロシアが、新興の軍国日本に腐敗した大国が敗れたように、現在の軍事独裁の韓国に制圧される状況を指す。
ロスの取材や韓国での講演を通じ、統一教会の奇妙な動きとして、安倍晋太郎への工作の話を知り、息子の晋三がロスにいたので、反日カルトのムーニーの工作に、私は奇妙な危惧感を抱いていた。そこで安全保障との関連で、日韓関係という表現を使い、自民党への統一教会の浸透を危惧し、ファシスト革命を論じたが、記事ではそこは巧妙に削られ、投資のハイジャックの話に矮小化されて、話題がずらされてしまった。
私の意見は堺屋に「信じ難い」と退けられ、サンケイ系の鹿島編集長も、話題を米国の石油拐取買収の方向に変えたので、堺屋は社会福祉や漁業権問題が、日本のガス開発への投資を困難にすると強調した。そこでカナダの極地体験で、メタンガスが水に溶けて凍りつき、ピンゴと呼ぶ丘を作っていた観察から、日本の沿岸の海底にもあると私は考えたが、それが最近話題のメタンハイドレートである。
しかも、日本海の沿岸地帯には、秋田から新潟にかけてグリーンタフが分布し、昔から産油地帯として知られているし、太平洋には常磐炭田があり、九十九里浜から茂原にかけて、天然ガスを含む砂岩層が発達する。だから、通産省からエネルギー省を独立させ、有能な人材を活躍させる機構作りをして、組織改革を実現するだけで、訓練すれば優秀な若者がいるから、通産行政の変革で日本は産油国になる。
理学部や工学部で基礎を学び、世界各地の現場で鍛えた人材ではなく、法学部や経済学部の出身者が君臨して、エネルギー政策を支配する今の官僚制度では、まともな運営が出来るわけがない。そして、レベルの低い現在の自衛隊は、国防軍に向け増強するよりも、国境警備隊と災害救助隊に再編して、中核を安全保障を担う組織に作り替え、残りはエネルギー確保のために、大胆な機構改革をする構想に結びつける。
そうした議論を試みるには、堺屋太一は余りにも通俗的で、慎太郎と同じ小説家のレベルであり、地球を舞台にした地政学の世界からは、余りに遠い存在だったから、対談は物別れの状態で終わっている。また、1970年の大阪万博の企画に加わり、沖縄海洋博を推進してから、堺屋は催し物屋を経て退官し、小説家として私と対談したが、小渕内閣の時に経済企画庁長官になり、2008年には維新の会を作っていた。
そして、橋下徹を大阪市長にして、大阪都構想を推進したり、安倍内閣で官房参与として首相のブレーンを演じ、日本財団や竹中平蔵と組み、大阪の腐敗と荒廃に貢献し、官僚出身の異色フィクサーの彼は2019年に他界した。彼とこの対談をした翌年に、堺屋の大先輩にあたる、生田豊朗日本エネルギー経済研究所所長を相手に、『エネルギー』誌で対談したが、実力の差は「月とスッポン」であり、生田豊朗の見識に較べれば、堺屋の底の浅さは歴然だった。
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/japan_energy.htm
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/japan_energy.htm
生田豊朗の通産省入りは、敗戦直後の1948年であり、同期には矢野俊比古、天谷直弘、金森久雄がいて、成長期の産業成長のために貢献しており、誠実な通産官僚群の構成を誇っていた。その前世代の官僚群には、日米開戦前後に商工省に入り、戦後の経済復興を推進した、『官僚たちの夏』の佐橋滋たちのような、志を持つ異色官僚がいて、大胆な産業政策に取り組み、日本の経済復興に挑戦していた。
佐藤内閣時代の通産大臣は三木武夫だが、「佐橋大臣、三木次官」と形容され、自衛隊違憲を表明し政治家に嫌われて、次官になれず特許庁長官で退官し、天下りを断った傑物が通産省にいた。当時の通産相には椎名悦三郎、大平正芳、宮澤喜一、田中角栄など、実力を持つ政治家が就任して、産業界の発展を指導したが、田中内閣から大平内閣の時代は、中曽根康弘や河本敏夫を始め田中六助や安倍晋太郎と小粒化した。
だから、堺屋太一らの若手官僚が、課長や課長補佐になり、発言力を持ち始めた頃は、大蔵や通産では綱紀が荒廃し、仕事熱心の役人は少なくなり、メディアへの登場が目立ち、小説を書いたり代議士に転じたりした。その典型的な官僚の一人が、小説家になった堺屋であり、彼は博覧会プロモータとして、大阪万博の推進役を果たし、関西財界での人脈を広げ、橋下徹と結び大阪に維新の拠点を築いていた。
*****
堺屋の次の世代の通産官僚は、小粒の出世主義者が蔓延し、1982年に入省した今井尚哉のように、エネルギー畑を歩み出世して、エネ庁の次長にまでなったが、実力のなさでも知られていた。叔父の今井善衛が岸信介の同僚で、通産次官を務めていたし、別の叔父の今井敬が新日鉄の社長から経団連の会長になり、その関係で安倍の目に留まって、首相秘書官になり注目されたが、彼の原発再稼働策は支離滅裂だった。
彼の同僚は天下りに専念し、日本の産業界をダメにしたが、その典型が収益最高のアラビア石油であり、生え抜きの取締役の話では、以下の匿名対談が示すように、通産の天下り族がこの会社を潰している。山下太郎が作ったアラビア石油は、石油に乏しい日本にとって、宝に似た存在だったのに、天下りした無能な役人と政治家により、食い荒らされてサウジ政府からも見限られて、哀れなことに解散を余儀なくされてしまい、日本は虎の子の会社を失ったのである。
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/zaikai0104.htm
http://fujiwaraha01.web.fc2.com/fujiwara/article/zaikai0104.htm
こんな失敗の元凶だのに、こんなダメ男を首相秘書官に取り立て、国政の舵取りを任せた安倍は、人物を見る目のなさを証明し、アベノミクスの愚劣さにより、日本の社会を滅茶苦茶に荒廃させた。しかも、安倍は政権を維持するために、反日邪教に自民党を明け渡し、売国政治に終始しただけではなくて、統一教会とズブズブの荻生田光一に、自民党副幹事長や内閣官房副長官を歴任させ、文科大臣にも任命していた。
安倍の無能さ加減については、リーダ論の形を利用しながら、『さらば暴政』で論じているが、出版が実に困難だったために、売れ残りを買い取る条件で出版しただけでなく、私が40万円も負担して広告したのに、『日刊・ゲンダイ』は書評もしなかった。もしも、書評されベストセラーになっていたら、第二次安倍政権は存在せず、日本の運命は変わっていたが、メディアの協力がなくて、安倍の長期政権が続いたし、それが日本の実態だった。
安倍のゾンビ政治によって、日本の社会が滅茶苦茶になり、反日邪教に食い荒らされてしまい、売国政治に支配されたプロセスは、『ゾンビ政治とポンジ経済の劇場』に、歴史の証言として詳述しておいた。また、その英訳はアマゾンUSで、世界の読者に広く公開され、注目を集めているだけでなく、悪質な謀略と乗っ取りの実例として、広く知られるに至っており、悪事は千里を走っているのである。
安倍が退任した後では、岸田内閣で産業問題に無知だのに、萩生田が経済産業相になり、ここまで無能集団に支配され、日本の産業政策は空洞化して、ポンジ経済を推進した中国に圧倒的な差を付けられた。その間に日本のゾンビ政治は、小泉から安倍の長期政権として迷走し、この間に社会の劣化は著しく進み、世界第二位だった経済大国日本が、中国とドイツに抜かれ第四位に転落している。
日本の政治の劣化は酷く、自民党は反日邪教の巣窟になり、野党の幹部を政経塾出身者が占め、自民党の高市や維新の前原を始め、国民の原口や立憲の野田は、野党の代表に近い役職を占めている。松下政経塾の秘密は、東京タイムスの政治部長だった本澤二郎との共著、『愚者の天国とゾンビ地獄』で触れているが、実はホモ政治家の巣窟であり、それを2011年に本澤は「日本の風景」に書いている。
政界は安倍晋三が総裁として、自民党を統一教会に売り渡し、売国政治を推進していたが、清和会の別動隊の大阪維新は、笹川財団の強い支援を受け、大阪地区に堅固な政治基盤を確立した。大阪府知事と市長をやった松井一郎は、父親が笹川良一の用心棒兼運転手で、勝共連合と深い繋がりを持つし、笹川が理事長だった福岡工大に学び、政界に転じ日本維新の会の代表を務めた。
そして、橋下徹と手を組んで、大阪を維新の会の砦にして、後継者として吉村洋文を選び、大阪都構想を推進してから、部下の斎藤元彦を兵庫県知事に送り込み、関西に地盤の拡大を試みた。安芸高田市長の石丸伸二を都知事候補にし、東京に維新の会を進出させ、東京と大阪の二大都市を抑えてから、朝鮮版の大東亜反共圏を作る、文鮮明が描いた共栄圏構想のシナリオもあった。
だが、誇大妄想狂の教祖が死に、カリスマ性に乏しい韓鶴子が後継として、教祖に納まり指導力が衰えたために、世界平和統一家庭連合は、至る所で邪教の本性を露呈し、断末魔に似た悪足掻きを見せている。これは狂気の原発推進と共に、エネルギー政策の破綻と結ぶ、ゾンビ政治が残した負の遺産と同じであり、岸信介が始めた満州工作が、笹川のファシズム路線を経て、政治のカルト化で終わった末路である。
堺屋太一は橋下徹と共著で、『体制維新・大阪都』と題した、クーデタの手引書を書いたが、私が論じたクーデタへの危惧を捻じ曲げ、こんな形でソフトな装いにまで、仕立て上げると私は予想もしなかった。『雄気堂々』を書いた城山三郎は、「維新、維新と騒ぎ回るが、維新派はフランス語のクーデタで、暴力で権力を奪うことだのに・・・。」と喝破したが、同じ作家でも大正リベラリストだから、城山は堺屋と違い真の教養があった。
彼が現在に生きていたなら、平然として維新を口にする、軽薄な政治家の横行を見て、果たしてどんな眼差しを注ぎ、彼らの単細胞ぶりに対して、どれほど強い侮蔑の言葉を放つだろうか。通産省が経産省を経て、産業を司った官僚が堕落し、同じく劣悪化した政治家たちが、如何に日本の劣化を促したかを思えば、情けなくて涙が流れてしまうが、これが亡国の悲哀なのであろうか。
コメント