中江滋樹さんを、冤罪のワナにおとしいれた槙枝一臣弁護士とは一体何者か?その素顔を明らかにする。弁護士の仮面をかぶった人物のいわばプロファイリング(注)である。
槙枝一臣弁護士のプロファイル。
昭和22年頃、後に日教組委員長・総評議長になった槙枝元文の子として生まれる。
いわゆる”労働貴族”ファミリ-だ。
昭和44年3月、中央大学卒。
昭和48年、弁護士登録。
昭和59年、中江滋樹さんと、投資ジャ-ナルグル-プの一人の大口債権者の代理人として債
権回収の話し合いをする。中江滋樹さん、加藤文昭、加藤の愛人の3人が海
外”逃亡”する前であり、かつ、警視庁による強制捜査の前である。
昭和59年8月9日ごろ、中江滋樹さん、投資ジャ-ナル社長加藤文昭、加藤の愛人の3人
が、三浦甲子二・テレ朝専務の指示により海外”逃亡”。日本における連絡窓口は
槙枝一臣弁護士。三浦甲子二も槙枝一臣弁護士も、警視庁と中江滋樹をとりも
つ、フィクサ-(Fixer。裏工作、不当な調停などで金儲けをする黒幕。-グラ
ンドセンチュリ-英和辞典)であった。
この時点で、山根治会計士は槙枝一臣弁護士との面識はないし、中江滋樹さ
んからも相談を受けていない。
昭和59年8月24日、投資ジャ-ナルグル-プに警視庁生活課が強制捜査に着手。証券取引法違反。
(注)プロファイリング(犯罪捜査において、犯罪の性質や特徴から、行動科学的に分析し、犯人の特徴を推論すること。犯罪者プロファイリング。-ウィキペディア)
(この項つづく)
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ここで一句。
“マスコミを 避け始めたぞ なにかある”
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(毎日新聞、令和2年10月10日付、仲畑流万能川柳より)
(”令和2年1月、松浦松江市政と、安倍政権にベッタリだった山陰中央新報の社説が一変。しかし、いまだ”調査報道”には程遠い”-松江のプ-タロ-)
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