- 弁護士の仮面をかぶった経済ヤクザ -
冠省. 貴信のコメント・メール - (6) で、安倍晋三と菅義偉について、
『安倍は工藤会を使い、下関に君臨していたし、菅は稲川会の舎弟として横浜に砦を築き上げると、日本を食い荒らした』
とされ、安倍晋三については、
『チンピラからバタヤになり、ヤクザの舎弟となって、詐欺商売の手口を学び、代議士の秘書から議員に化け、機動隊員レベルの男が、遂には首相に出世する』
と評されています。安倍晋太郎だけでなく息子の安倍晋三のリアルな裏金の流れを知っている私としては貴兄のおっしゃることがよく理解できます。
又、貴兄は
『民営の暴力団はヤクザで、国営の暴力団が警察ですね』 コメント・メール - (6) とされていますが同感です。私は従来から、国税は国家の暴力装置であることを言い続けています。
このたび松江のぼったくり弁護士である中村寿夫が、下手な三文芝居をして私に噛みついたと思いきや、自らの汚点のいくつかをポロポロと自白することになったのは皮肉です。
上記、貴兄の指摘と、詐欺・ぼったくりの常習犯であったことから、中村寿夫弁護士は、経済ヤクザの一員であった事実が浮んできました。弁護士の仮面をかぶった経済ヤクザということです。松江で開業する前の数年間は東京でイソ弁をやっていましたので、その間、田中森一・黒田修一とか槙枝一臣のような浪花金融道の一員と交わり、経済ヤクザのノウハウを身に着けたものと思われます。
ぼったくり弁護士の中村寿夫が、㈱山根総合事務所にもぐり込んできた同じ頃に、松江市の経済ヤクザと一緒になって開業医を騙して倒産させ、土地建物を奪い取った事件がありました。この医師は裸同然で自宅・医院から追い出され、多額の借金のカタに、各地の病院の勤務医として働かされ、医師報酬の大半をヤクザにピンハネされていました。九州、名古屋、青森までの足取りは掴めていましたが、青森から消息がプッツリと途絶えました。青函連絡船に乗せられて海の中に突き落とされたのではないかと言われています。
表立った事件とはならず闇から闇に葬られたこの倒産劇については、私が地元経済誌・山陰経済ウィークリーに寄稿した記事がありますので、メールに添えることに致します。この記事については後日談があります。記事が山陰経済ウィークリーに掲載されてから程なくホンモノのヤクザが子分を従えて私の事務所に乗り込んできたのです。この顚末については、山根治ブログ「悪徳税理士」の弁 - ①で公表していますのでご高覧いただければ幸いです。
記事の中でY医師とは島根大学近くの菅田町で開業していた米川和郎医師のことであり、Kとは古藤勇三のこと、M司法書士とは三上眞爾のこと、Sとは左近喬士のことです。この左近喬士は先年亡くなりましたが、貴兄がおっしゃっている九州の工藤会とつながっています。ここまでが倒産屋の仕事です。その後、パクリ手形のサルベージ屋に相当する地上げ屋が登場します。不動産取引業者の港商事と、物件の買い取り屋・豊洋工務店です。港商事は、その後㈲フドーサンと社名を変え、豊洋工務店は、㈱豊洋と社名を変えています。二社とも、地上げ屋として現在も松江市で仕事をしています。
この地上げ屋である豊洋工務店の特別顧問をしていたのが、ほかならぬ経済ヤクザで弁護士の中村寿夫です。
明窓閑話
Y医院倒産の舞台裏で・・・
- 倒産仕掛人 上 - >113<
山陰地方のある都市で一軒の医院が倒産した。
近年、全国的に多発している病院経営破綻の一つである。
Y医院。開業して七年になる医院であった。
院長Y医師のプロフィール。
昭和三年I市に生まれる。I高校からT大医学部に進む。インターン時代、看護婦であった女性(現夫人T子、昭和九年生まれ)と結婚。この結婚に強く反対した両親と不仲となり、以後勘当同然の状態となった。
大学卒業後、公立O病院に勤務医として赴任。院長を経験した後、昭和四十九年退職し、M市にてY医院を開設。
Y医師は性格的に異常な程激しやすく、ものごとに対して冷静に対処できる性格ではなかった。バクチが好きであり、勤務医時代から花札、麻雀と高レートの賭博に首を突っ込んでおり、この線から不良グループとのつながりができたとされる。
このような素地のあるY医師が、医院経営を始めたのである。
M市でも札つきのワルであるAが、Y医師にネライを定めた。
Aは言葉巧みに接近し、遊興資金に窮していたY医師にお金をヒネリ出す方法を教え込んだ。
「あなたはM市の名士です。信用たるや絶大なるものがあります。これは手形といいまして、ただの紙切れにすぎませんが、先生がこの紙切れにサインをし、判を押されるだけで見事お金にかわるのです。銀行から借りるとすれば面倒な手続きが必要であるうえに、お金の使い途についてもアレコレと詮索されるでしょう。
ところがこの手形を使えば、そんな面倒なことは不要です。私にまかせていただければ、一日のうちに現金にしてさしあげましょう。手数料とか金利はその分だけ差し引かれることになりますが、大した金額ではありません。私を信用してまかせてみませんか。」
Aは、Y医師が経済のことに無知であることに乗じて、とうとうY医師に手形を発行させることに成功した。いうところの融通手形、金融手形である。
Aは知り合いの高利貸に、この手形を割り引かせ現金化した。はじめのうちこそ正直にY医師のところに現金を持参していたが、そのうちに手形をまきあげるだけで、Y医師に現金を渡さなくなった。毎回、適当な理由をデッチあげて、手形を詐取していったのである。
このAなる人物、札つきのワルであるものの小悪党の部類である。Bなる偽名を使い、H代議士の事務所に出入りしては、H代議士と個人的に親しくしていると世間に勝手に吹聴し、金になることなら何にでも首をつっ込んでいる男である。
蛇の道はヘビ。Aがうまい汁をすっていることをかぎつけた、この地方きってのワルであるKが割り込んできた。
昭和五十五年某月某日、つまりY医院倒産のおよそ一年前のことである。
M市の某所にKを中心とするグループの主だった人物が集まり、密議をこらした。Y医院をダシにして、いかに多くの金を詐取するかについての謀議である。
まずK。Kグループの中核的存在。かつてまともな事業をしていた時期もあったが、手形をパクられて倒産して以来、今度は自ら金融犯罪に手を染めだし、今では知る人ぞ知る、経済の闇をわたり歩くボス的存在となっている男。
次にB。現在表むきの商売は自動車用部品の売買。ところが一皮めくれば暗闇の紳士。利益は暗闇にあり、ということを信じ、実行している男。
C。三十代の司法書士。一流と目される国立の大学を出て、弁護士をめざして勉強していたが果たせず、現在ゆがんだ法律知識をフルに悪用して、ワル仲間の知恵袋となっている司法試験くずれの男。
その他前記Aと二人の雑魚(ざこ)。
この六人が、具体的にどのような話し合いをしたのか知る術もない。はっきりしているのは、この密談のあった時から一年の後に、Y医院が倒産に追い込まれたという事実である。
山陰経済ウィークリー 昭和57年8月3日号㈫
冠省. 貴信のコメント・メール - (6) で、安倍晋三と菅義偉について、
『安倍は工藤会を使い、下関に君臨していたし、菅は稲川会の舎弟として横浜に砦を築き上げると、日本を食い荒らした』
とされ、安倍晋三については、
『チンピラからバタヤになり、ヤクザの舎弟となって、詐欺商売の手口を学び、代議士の秘書から議員に化け、機動隊員レベルの男が、遂には首相に出世する』
と評されています。安倍晋太郎だけでなく息子の安倍晋三のリアルな裏金の流れを知っている私としては貴兄のおっしゃることがよく理解できます。
又、貴兄は
『民営の暴力団はヤクザで、国営の暴力団が警察ですね』 コメント・メール - (6) とされていますが同感です。私は従来から、国税は国家の暴力装置であることを言い続けています。
このたび松江のぼったくり弁護士である中村寿夫が、下手な三文芝居をして私に噛みついたと思いきや、自らの汚点のいくつかをポロポロと自白することになったのは皮肉です。
上記、貴兄の指摘と、詐欺・ぼったくりの常習犯であったことから、中村寿夫弁護士は、経済ヤクザの一員であった事実が浮んできました。弁護士の仮面をかぶった経済ヤクザということです。松江で開業する前の数年間は東京でイソ弁をやっていましたので、その間、田中森一・黒田修一とか槙枝一臣のような浪花金融道の一員と交わり、経済ヤクザのノウハウを身に着けたものと思われます。
ぼったくり弁護士の中村寿夫が、㈱山根総合事務所にもぐり込んできた同じ頃に、松江市の経済ヤクザと一緒になって開業医を騙して倒産させ、土地建物を奪い取った事件がありました。この医師は裸同然で自宅・医院から追い出され、多額の借金のカタに、各地の病院の勤務医として働かされ、医師報酬の大半をヤクザにピンハネされていました。九州、名古屋、青森までの足取りは掴めていましたが、青森から消息がプッツリと途絶えました。青函連絡船に乗せられて海の中に突き落とされたのではないかと言われています。
表立った事件とはならず闇から闇に葬られたこの倒産劇については、私が地元経済誌・山陰経済ウィークリーに寄稿した記事がありますので、メールに添えることに致します。この記事については後日談があります。記事が山陰経済ウィークリーに掲載されてから程なくホンモノのヤクザが子分を従えて私の事務所に乗り込んできたのです。この顚末については、山根治ブログ「悪徳税理士」の弁 - ①で公表していますのでご高覧いただければ幸いです。
記事の中でY医師とは島根大学近くの菅田町で開業していた米川和郎医師のことであり、Kとは古藤勇三のこと、M司法書士とは三上眞爾のこと、Sとは左近喬士のことです。この左近喬士は先年亡くなりましたが、貴兄がおっしゃっている九州の工藤会とつながっています。ここまでが倒産屋の仕事です。その後、パクリ手形のサルベージ屋に相当する地上げ屋が登場します。不動産取引業者の港商事と、物件の買い取り屋・豊洋工務店です。港商事は、その後㈲フドーサンと社名を変え、豊洋工務店は、㈱豊洋と社名を変えています。二社とも、地上げ屋として現在も松江市で仕事をしています。
この地上げ屋である豊洋工務店の特別顧問をしていたのが、ほかならぬ経済ヤクザで弁護士の中村寿夫です。
明窓閑話
Y医院倒産の舞台裏で・・・
- 倒産仕掛人 上 - >113<
山陰地方のある都市で一軒の医院が倒産した。
近年、全国的に多発している病院経営破綻の一つである。
Y医院。開業して七年になる医院であった。
院長Y医師のプロフィール。
昭和三年I市に生まれる。I高校からT大医学部に進む。インターン時代、看護婦であった女性(現夫人T子、昭和九年生まれ)と結婚。この結婚に強く反対した両親と不仲となり、以後勘当同然の状態となった。
大学卒業後、公立O病院に勤務医として赴任。院長を経験した後、昭和四十九年退職し、M市にてY医院を開設。
Y医師は性格的に異常な程激しやすく、ものごとに対して冷静に対処できる性格ではなかった。バクチが好きであり、勤務医時代から花札、麻雀と高レートの賭博に首を突っ込んでおり、この線から不良グループとのつながりができたとされる。
このような素地のあるY医師が、医院経営を始めたのである。
M市でも札つきのワルであるAが、Y医師にネライを定めた。
Aは言葉巧みに接近し、遊興資金に窮していたY医師にお金をヒネリ出す方法を教え込んだ。
「あなたはM市の名士です。信用たるや絶大なるものがあります。これは手形といいまして、ただの紙切れにすぎませんが、先生がこの紙切れにサインをし、判を押されるだけで見事お金にかわるのです。銀行から借りるとすれば面倒な手続きが必要であるうえに、お金の使い途についてもアレコレと詮索されるでしょう。
ところがこの手形を使えば、そんな面倒なことは不要です。私にまかせていただければ、一日のうちに現金にしてさしあげましょう。手数料とか金利はその分だけ差し引かれることになりますが、大した金額ではありません。私を信用してまかせてみませんか。」
Aは、Y医師が経済のことに無知であることに乗じて、とうとうY医師に手形を発行させることに成功した。いうところの融通手形、金融手形である。
Aは知り合いの高利貸に、この手形を割り引かせ現金化した。はじめのうちこそ正直にY医師のところに現金を持参していたが、そのうちに手形をまきあげるだけで、Y医師に現金を渡さなくなった。毎回、適当な理由をデッチあげて、手形を詐取していったのである。
このAなる人物、札つきのワルであるものの小悪党の部類である。Bなる偽名を使い、H代議士の事務所に出入りしては、H代議士と個人的に親しくしていると世間に勝手に吹聴し、金になることなら何にでも首をつっ込んでいる男である。
蛇の道はヘビ。Aがうまい汁をすっていることをかぎつけた、この地方きってのワルであるKが割り込んできた。
昭和五十五年某月某日、つまりY医院倒産のおよそ一年前のことである。
M市の某所にKを中心とするグループの主だった人物が集まり、密議をこらした。Y医院をダシにして、いかに多くの金を詐取するかについての謀議である。
まずK。Kグループの中核的存在。かつてまともな事業をしていた時期もあったが、手形をパクられて倒産して以来、今度は自ら金融犯罪に手を染めだし、今では知る人ぞ知る、経済の闇をわたり歩くボス的存在となっている男。
次にB。現在表むきの商売は自動車用部品の売買。ところが一皮めくれば暗闇の紳士。利益は暗闇にあり、ということを信じ、実行している男。
C。三十代の司法書士。一流と目される国立の大学を出て、弁護士をめざして勉強していたが果たせず、現在ゆがんだ法律知識をフルに悪用して、ワル仲間の知恵袋となっている司法試験くずれの男。
その他前記Aと二人の雑魚(ざこ)。
この六人が、具体的にどのような話し合いをしたのか知る術もない。はっきりしているのは、この密談のあった時から一年の後に、Y医院が倒産に追い込まれたという事実である。
山陰経済ウィークリー 昭和57年8月3日号㈫
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